自他ともに認める「おせっかい」である。
例えば「しーん」と静まり返っている場を、誰に頼まれてもいないのに盛り上げたくなってしまったり、なかなか本音が言えない人たちが集まった話し合いで「ズバリ」発言してしまったり、誰も手が上がらないPTA仕事を「じゃあやるよ」と引き受けてしまったり。
まだ保育園のころ、町内会のバス旅行や自らの七五三祝いで「司会」を買って出たとか、小6の時、近所の小1がいるお宅を訪ねまわって「一緒に行きましょうか」と声をかけたとか、年齢がシングルの頃から数々の伝説!?があるので、生まれついての気質なのだろう。もう50歳だし、いい加減に認めて付き合っていくしかない。
とりわけ厄介なのが、元々が喋り手だったから、人の声や話し方がとても気になる。
研修やセミナー、講演などでは耳をひくひく。「もったいない」「ここを直せばもっと」などなど、ついつい考えてしまう。その場限りのお付き合いだったり、おへそが曲がりそうな人や、関係性が出来ていない人にはもちろん何も言わないのだけれど、気の置けない友人・知人だったりすると、言わずにおられない。
「あの・・・フィードバックって必要?」などと、気付けばメールやメッセージを送っている。「こうした方がもっとよくなるよ」「ここは注意した方がいいよ」「助詞が」「母音が」「緩急が」「構成を」といった感じ。別にアナウンサー目指しているわけでもないから、そんなことを急に言われても戸惑うかもしれない、とも思う。でも、ここでやめられないのが「おせっかい気質だから」なのだ。
先日も、ドリマ先生仲間のかっちゃんの2時間講座を受けて、やってしまった~フィードバック。(もちろん、必要か不要かの許可はとりましたが)
失礼かなぁ?と思いながらも、前述のごとく「メッセージ」送信して、数日後にお会いする機会があったので、お茶しながら話すことに。話し始めるうちに遠慮は消えて、ビシバシ指導。別れた後「あちゃー、調子に乗ってやりすぎたか?」と反省していたところ、結果的にはとても喜んでもらえたようで、翌日、感謝のコメントを送ってくださった。え?ニーズあるんだ~という気づきと共に「おせっかい心」をくすぐられて嬉しくなった。これってもしかしてWin-Winだよねぇ(にんまり)ってな感じ。
思えば、繋がるご縁のはじまりの多くは「おせっかい」だったりする。困っている人がいると、そのジャンルの専門家を紹介したり、役に立ちそうな本を紹介したり、手を挙げてしまったり。さらに、そうして出来たご縁が10年も20年も繋がっていることも多い。
はじまりはいつも「おせっかい」♪
そして「おせっかいが世界を救う」日も近い?
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