こんばんは!橋本恵子です。
毎月第一日曜日の朝7時からは、早朝朗読レッスンです。多い時には5名ほどが全国各地から参加されますが、今日は皆様、都合がつかず、1名のみの参加でした。レッスンは、他メンバーとの対話やフィードバックが醍醐味のひとつなので、参加のNさんに了解を得て、教材朗読は見送って、私もNさんも共通して励んでいる「地域を読書活動で繋ぐために必要なこと」をテーマに、お話をすることになりました。
話の中で、Nさんから「上手い朗読」という言葉が出てきました。こういう「ことば」を私は逃しません(笑)。「Nさんの考える『上手い朗読』って、どういうものですか?」と尋ねてみました。
「うーん」と首をかしげるNさん。「正しく読めることですか?」「間違えないこと?」それとも「伝わること?」など、仮説を投げてみましたが、なかなか納得のいく言葉が見当たらない感じです。しばらく間があってから、Nさん、こんな興味深い話をしてくれました。
Nさんも私も、朗読指導者として山根基世さんの元で学んだ経験があります。Nさんがお話してくださったのは、山根さんから学んだことをベースにしたものでした。「『白いご飯』のような、いつ食べても飽きない朗読をと、私たちは教わってきましたよね。私が『上手い朗読』と思った方々は、一様に、ある種の世界観はあるんです。淀みもないし、間違いもない。ある意味、申し分ないんですよね。だけど、なんでしょう?『白いご飯』じゃないんですよね。私たちが目指しているものがそこだから、違和感を覚えたのかも」
これは、面白いですね。淀みもなく、間違いもなく、申し分もないから「上手い」のに、何か、落ち着かない。多分、Nさんが覚えた違和感は「なのになぜ?伝わってこないの?」なのかなと思います。「上手い朗読」であることが、必ずしも「いい朗読」ではないというのが、この「差」であり「違い」なのだろうと思います。
見えるものは、見えないもので出来ていて、「ことば」も「文字」だけでは届きにくく、その裏側にある「解釈」とか「心」が醸成されて初めて、相手の心に届く「いい朗読」が実現するのです。朗読に限らず、コミュニケーションの全てにおいて当てはまることだと思います。スキルはあっても、心が追い付いていないと、やっぱり伝わらないのです。若い頃、私も全く、ダメな事例の宝庫でした。「間違えずに読もう」「正しく伝えよう」「時間通りに納めよう」なんて「枠」にとらわれて、相手(視聴者)のことを考えているつもりが、ベクトルは自分を向いたまま…で、全く伝わらないと、よく頭を抱えていました。
思いがけず生まれたNさんとの対話のひととき。「いい朗読とは何か」「いいコミュニケーションに必要なことは何か」を考え、学び直す絶好の機会となりました。
Nさん、今日も、ありがとうございます!
そして、ふたりで悪だくみ(笑)エリアを超えて、楽しく学び合える活動の計画が進むかも!!
だから、学びはオモシロイし、対話は創造につながる。
お互いに「抱え込みすぎですよねぇ」と背負った荷物を眺めながら、またまた新しい荷物をくくりつけようという私たち。顔を見合わせて、笑ってしまいました。今日の対話から、何かが生まれる予感!震えて待っていてくださぁい。
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