ただそこに置くだけ

「コミュニケーション」は、私にとって中学生の頃からの課題です。

中3の担任から「けいこさんは誤解されやすい性格だから」と3者面談で言われたことや、部活の顧問から体罰を受けたことも尾を引いています。

今なら、絶対許されないことですが、当時は、怒られた理由もよくわからなかったし、それを見ていながら止めなかった先生方・大人に、ものすごく反発を覚えました。

一方で、私が「誤解されやすいから」体罰を受けたのかと悩みもしました。

コミュニケーションが上手くいかないと、今でもこの光景を思い出します。

もちろん、文字通り「反面教師!」だと、頭では理解しているので「感情的にならないこと」と自分を戒めますが、思春期の出来事がもたらすインパクトって大きいんですよね。

子どもたちと向きあう場面では、特に、気を付けるようにしています。

社会人になってからはアナウンサーとして、報道記者として、伝えることを仕事にしてきたので、あらゆる方向の様々なコミュニケーションの壁にぶつかってきました。

だからこそ「コミュニケーション」にはこだわりが強く、「コミュニケーション」とか「伝え方」という見出しの本は、ポチポチ、ポチポチ買っては読み、買っては読んできました。

文章表現インストラクターの、山田ズーニーさんは、その著書で

コミュニケーションが出来る人と出来ない人の違いを問われて・・・

センスでも才能でもなく「場数」。コミュニケーション力は筋力のようなもの。出来る人は、どこかで場数を踏み、コミュニケーションの筋トレを積んでいる

と書いています。

51歳の夏・・・私も様々な壁にぶつかる度に、少しづつ筋肉はついてきたかとも思ったりしてました。

ところが、先日、EMS学長の大久保寛司さんのお話しを聴く機会があり、寛司さんは「伝える」ということについて

「僕は伝えようとしていない。ただ、感じたことをそこに置くだけ」と

仰っていました。

筋トレに燃えているうちは、その境地にはまだまだ至らないんだろうなぁと思いつつ、日々、鍛えていくしかないんだろうなぁと思う毎日です。

オンラインという新しいツールに馴れてきたからこそ、あらためてコミュニケーションの難しさを感じています。

そこに置くだけ・・・・ですか。

朗読マラソンは、こちら。

バーバーアシダカ はらまさかず

関連記事

  1. 「会いたい人」でありたい

  2. 喜怒哀楽を、笑いに転換する

  3. 気持ちの根っこにあるもの

  4. 「ほ」の字に

  5. ひとつめの山を越え(怒涛の8月)

  6. 繋がるご縁