きょうは、午前中、牧之原で仕事があったので、8時過ぎには家を出て東名で一路、西へ。午後のオンラインセッションが日程変更になったこともあって、1時間半ほどの打ち合わせ後、思い立って「東海道中膝栗毛」を追求すべく、おひとり取材旅として、新居関所へ。
再び東名高速を1時間ほど走り、浜松西ICから車で約30分。
アナウンサー時代、静岡県内はあちらこちら(富士山頂まで)中継して回りましたが、意外と「名所・旧跡」などから中継するってことは多くなくて、多分、初めての訪問でした。
地震や津波の被害で移転を繰り返し、現存している関所建物は、1855年から5年間をかけて建て替えられたもので、関所の遺構としては全国で唯一現存する建物です。
おなじみの!?おじさんたちも勢ぞろい~
「入り鉄砲と出女」って覚えてますか?江戸の防衛を目的にして、新居の関所では、かなり厳しくおじさんたちが取り締まっていたそう。
江戸時代は、浜名湖を船で渡りましたから、渡し船の乗降場なども復元されています。
関所の周辺には、旅館(旅籠はたご)も多くあったそうで、中でも、最も大きかったとされる紀州藩御用宿の「紀伊国屋」も、近くにあり、見学することができます。
しかし、何より驚いたのは・・・資料館を出て、目の前に地元で旅行会社を営む弟がお客様御一行と見学していたこと!
もちろん、示し合わせもしていないし・・・すんごい偶然にびっくりでした。
お互いに「なんで?」と疑問符に囲まれる感じでしたよ。
ちなみに、弟たちは、富士宮から伊勢に行く1泊2日の忘年会旅行の途中に立ち寄ったそうです。ご一行さまは今夜「ふぐ会席」ということで、誘われましたが・・・さすがにここからツアー参加は出来ませんので(笑)、笑顔でバスを見送りましたわ。
「東海道中膝栗毛」では、弥次さん喜多さんも、ここで「うなぎ」を堪能した後、伊勢に向かったわけで・・・いやぁ、そんな繋がりも面白いですね。
せっかく足を伸ばしたので、明治時代に芸者置屋だった「小松楼」も見学したところ、今は「交流館」として子どもたちの居場所として開放されていて、指定管理団体のNPO法人新居まちネットの方とも、まちづくりについてなど、色々とお話しが出来ました。
「感じて、伝える 旅する朗読 東海道中膝栗毛」のおかげで、面白いことに沢山、出会えています。
動かなければ、出会えない。
すなわち、動けば、出会う!
「密」には気を付けながら、ひとり東海道探求の旅…まだまだ続きます~
旅する朗読に参加したい方は、こちらを。(ペアで5000円=教材費)
観覧チケット(無料)も、受付開始しています。
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