旅の思い出を振り返って見ると、大抵の場合は、すんごく困った場面を思い出す。
会社員時代「フェルメール」を観に行きたいと、ひとりオランダに行ったときの最大の思い出は「モスキート事件」である。
ホテルの部屋に「蚊」がいて、到着した日の夜、一晩中、あの忌々しい音を立てながら私の周りを飛び回るのである。寝られたもんじゃない。せっかくの旅の初日を邪魔され、、、、
翌朝、フロントに行き必死で訴えた。
「メニ―モスキート イン マイルーム」「アイ キャーント スリーピング」
「キルゼム、キルゼム、キルゼム」
両手をヒラヒラとさせ、蚊が飛び交う様子をジェスチャーで示しながら、さらに蚊の音を真似して、左腕に蚊がとまった想定で「キルゼム」にあわせて、右手で左腕をペチペチ叩く。
小柄な日本人女性が、フロントに乗り込んできて「キルゼム」「キルゼム」ペチペチ〜〜である。フロントの男性は、果たしてどう思ったであろうか?思い出せば出すほど、恥ずかしいやら、もはや微笑ましいやら・・・
あれから20年以上が経つが「そういえば、変な日本人がいて・・・」と現地で「ネタ化」しているんじゃないかと想像してみたりもする。
思い出してほしい。私は「フェルメール」を観に行ったのである。
でも、一番に思い出すのは「モスキート事件」なのだ。
笑える。(画像は大塚国際美術館…これも笑える?)
いやしかし、旅の醍醐味というのも、実はここにあるような気もする。
思うようにならない=非日常の中で、人は挑戦するのだ。その可能性を最大限に発揮するのだ。自分が安心していられる「コンフォートゾーン」から「アンコンフォートゾーン」に行くことで、人は覚醒するのだ。
安定、安心の場は大事だと思う。居心地もいい。
だけど、そこだけでぬくぬくと留まっていたら、成長機会は、残念ながら訪れないのではないか。
だから、私は「旅」が好きなのだ。そして「旅する朗読」という企画を考えたのである。「旅」という非日常では、感性のアンテナも自然に高くなる。そこにストーリーがあれば尚更だ。好奇心が自然、むくむく湧いてくる。
そして、表現したくなる。
私が「モスキート事件」を未だに語り継いでいるように(笑)
コロナ禍で、今、私たちは思うように「旅」は出来ないけれど、非日常が詰まった体験が出来る。それが「旅する朗読 東海道中膝栗毛」だ。
「旅」を教材にして「オンライン」「朗読」「YOUTUBE 配信」など、非日常がてんこ盛り、すなわち「成長の機会」が詰まっている。
満席まであとわずか。詳しくはこちらをどうぞ。
〆切延長して、おひとり参加枠を増やしました。
残席は今日時点で、ペア1席(2人)、個人3席(3人)です。
遠く離れて会えない家族も、オンラインで繋がって一緒に参加すると、楽しいですよ〜。
お問い合わせは、こちらまでどうぞ。info@kotosuku.com
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