私のオシゴトメニューのひとつに「朗読レッスン」というものもある。
このレッスンは、会社を卒業して直ぐ(6年前)から始めて、コロナ禍を挟みながら、形態も様々に変化し、現時点では自分の仕事のペースと参加メンバーの多様性に合わせて
・毎月第一日曜日の早朝オンラインクラス(7時〜8時半)
・10時からのリアルクラス(静岡市内の生涯学習センターで)
・毎月第一水曜日の10時からのオンラインクラス
という、計3クラスを開設している。
レッスンでは、毎月、3クラス共通の「教材」を準備する。
今日は、太宰治の「富岳百景」の一部を教材としたのだが、これが本当に難しくて、よいレッスンとなった。
教材として取り上げた文章の冒頭の一文が、とにもかくにも「ながーい」のである。
けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
この、とにかく長ーくて、漢字だらけの一文を、どう解釈して、初めて聴く方にも伝わるように朗読するのか?
文字通り「、」の箇所を、そのまま「間」を取って読み上げると、ブツ切れで、全く意味が伝わらない(可能性が高い)。
伝わる朗読の基本となる2つの型「意味のかたまりをひと息で」「上から下へのイントネーション」のうち、前者を意識して、自分の解釈で、どこで文章を区切ると「伝わるか」を、まず、考えなくてはならない。文字面では「、」だけれど「。」の意味合いの箇所は、「、」に惑わされず、意味内容を優先して、しっかり区切る。
その上で、重要だと聴き手に感じてほしい箇所は、しっかりと「強調」しなくてはならない。
「強調」の表現を考える時に、もうひとつ、厄介なのが「漢字」との向き合い方だ。太宰作品だけでなく、文学作品はとかく「漢字」が多めだけれど、「漢字」を読む時には、無意識のうちに、表現も引っ張られて硬くなることがある。見た目の「、」に惑わされないと同様に「漢字」にも惑わされないことも、ひとつのコツだと思う。
私の場合、無意識に「漢字」を「ひらがな」や「カタカナ」に変換している・・・ことに、今日のレッスンで、気づかされた。多分、若い頃、ニュース原稿に毎日、向かい合っていた際に身に着いたことだと思う。
ニュース原稿では、難解な固有名詞などは脳内で「ひらがな」変換して、すこしゆっくりやわらかく読むようにしていた。また、一塊の漢字でも、意味内容にしたがって、少し区切って読む・・・たとえば「衆議院議員選挙 期日前投票」であれば「衆議院 議員選挙 期日前 投票」などと、耳で捉えやすい工夫をしていたし、場合によっては「衆議院議員選挙(の)期日前投票」などと、助詞を一文字加えるだけでわかりやすくなるのでは?と、デスクに提案したり、一文が長くて、聴き手が耳で捉えづらい文章などは、耳で聞いてわかるように、修正できないかを考えて提案することも多かった。
ところが「朗読」の場合は、文言を変えることは出来ない。
だから、自分の表現の力量が問われる。
さて、今日の「富岳百景」。長ーい文章に、みんなで四苦八苦しながら、あーでもない・こーでもないと解釈の違い・表現の違いを話すうちに、オンラインクラスも、リアルクラスも、あっという間に90分が過ぎていた。
私たちが目指しているのは、あくまで「伝わる朗読」であり、そのために「表現」を磨いていくわけだが、「伝わる」も「表現」も、相手によって、状況によって「絶対の正解」はない。
だから、オモシロイ(笑)
今日も、6者6様の「富岳百景」を味わえるレッスンに、多くの学びと気づきを得られた。
研修資料作成などで、AIのサポートをお願いすることも増えているけれど、「朗読」に関しては、「声」も「表現」も「解釈」も、AIには代替できないものの掛け算で出来上がる「アート」だ。
指導者という役割はあるが、私が一番、学ばせてもらっているなぁ…と、今日も感謝。
細々とでも、長ーく続けていきたい。
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基本を学びたいという方には、単発の出張レッスンなども承っています。
また、レギュラーレッスンは、各クラス定員6名なので、曜日によっては、入りづらいクラスもありますので、興味がある方は、個別にお問い合わせください。
そして!サービス精神旺盛なので(笑)、朗読だけでなく、今日のレッスンも「グループコーチング」的な関りで、朗読以外にも様々な学びがあると、仰っていただけました。安全・安心の場でないと「表現」って出来ないのでね。関係性を大事にしています。
「朗読」の技術よりも、「表現力」を磨いて、日常に活かすことが、レッスンの目的です。※「朗読」は手段です!
そういう意味合いでも、やっぱり私が一番、学ばせてもらってますね〜みなさま、ありがとうございます。











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